ニートアボリジニー

  


ダーウィンの町中を闊歩していると高頻度でアボリジニーと遭遇する。ベンチに座って井戸端会議をしていたり、ぼーっと散歩していたり、何もやる事がないのか色々な公共施設に出たり入ったりを繰り返したりしている。彼らの表情や雰囲気はまるでニートそのもの。目はうつろで、ふらふらと目的もなく町中を闊歩している。人生の目標を失い、ただ日々の時間を無駄に潰して過ごしている感じだ。

彼らを見ると分かるが、現代の生活にも、オーストラリアの社会にも、オーストラリアのコミュニティーにも同化していない。というより同化しようとしていない。そのためお金を得る為の資本主義のシステムを真に理解していないのではという疑問がわき起こる。彼らはお金が労働の対価になるという意識が全く見られない。彼らの大半は政府からの援助を受けて生活しているため働かなくても最低限度の生活レベルは保証されている。また生活が苦しくなると当然のようにホテルや盛り場にやってきては物乞いを繰り返している。それもどの年齢でも

お金は稼ぐ物ではなくてもらう物、恵んでもらうという意識があり、彼らにとってはこれが仕事になるのだろう。アボリジニー同士物乞いの縄張り荒そいも激しい。ひとたび他人のテリトリーを侵せば乱闘になったり警察を呼ぶ騒ぎになったりする。

もちろん中にはオーストラリアで規定している義務教育過程を修了し立派にオーストラリア社会に貢献しているアボリジニーもいるが、私が見たかぎりでは、平日にはふらふら闊歩し、公共施設に入り浸り、英語も話せない、働かない、教育も受けない そんなアボリジニーが大半だ。

これはオーストラリア政府が一生抱えて行く問題なのだろうが、一方でニュージーランドではネイティブであるマオリとニュージーランド人の同化が成功している。この差は一体なんなのか。不思議だ。

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