2月19日はダーウィン空襲の日

  
今日2月19日はダーウィン空襲の日です。アズナックセンターメモリアルパークでは軍関係者、政府関係者による記念式典が行われ、儀仗隊によるパフォーマンスや聖歌隊による合唱、戦争の爪痕の記憶を現在に残す為の太平洋戦争を思わせる空砲を使った実演の模擬戦闘が行われていました。空には日本の艦載機を思わせる旧型のプロペラ機を軍が飛ばし臨場感がありました。

私は日本人ですが、日本との戦争を記憶として残すこの式典は非常に複雑な気持ちにさせます。この式典に参加した(といっても見物客ですが)日本人はおそらく私だけだと思いますが、招かれざる客ではないかと思い、参列者の一番後方で見物していました。

ダーウィン戦争の記憶

オーストラリアではこの急襲の日はボミングオブダーウィンまたはバトルオブダーウィンとして知られ、オーストラリアでおきた最も広範囲に被害が及んだ空襲として認知されています。1942年の太平洋戦争末期に日本軍の242機の艦載機によって、オーストラリア軍の軍港を中心に、町や、民間の漁船が停泊している埠頭、2つの飛行場が空襲にさらされました。ティモールやジャワ島に戦略拠点をおく連合軍に対抗してオーストラリア、ダーウィンに所在する軍港や、それに付随する施設を連合軍に使用させる事を妨害する目的がありました。ノーザンテリトリーの防衛機能は日本軍の急襲でなす術が無く、ダーウィンの都市部でも甚大な被害を受け何人もの民間人が犠牲になりました。

地元住民の反応

恐る恐る、私の隣にたまたま居合わせたおじさんにこの戦争と日本軍について率直な感想を求めたところ,「お前がそういう質問をするってことはもしかして日本人なのか? まあいいや、俺は戦後生まれだし実際のところこの戦争についての実感はあまりないんだ。でも俺には分かるぜ、この戦争を記憶に留めるってことは2つの意味があるってことを。一つは平和を作る為の礎を築くためにやってることさ。うらみはないさ。当時はそういう時代だったんだ。 もう一つは当時の戦争が日本とオーストラリアを結ぶ始まりで、式典はお互いにこの出来事を乗り越えてさらに結びつきを強くするって意味があるのさ。もちろん古い連中は日本を嫌っている奴らもいるが、俺はお前が日本人でも大歓迎だぜ。お前は知らないだろうけどオーストラリアの新聞じゃ度々一面にアベの顔が登場するんだぜ? それだけお互い経済的に恩恵を受けてるってこった。」
言葉が出ませんでした、非常に前向きな考え方に感服しました。

式典の光景

式典はアズナックセンターメモリアルパークにある慰霊碑にて行われ、周辺には白いテントが設営され来賓席が並べられていました。来賓にはノーザンテリトリー知事、オーストラリア国会議員の他、警察署長、軍のお偉いさん方が参列していました。

政府関係者もあつまるこの式典では、警察による警備が厳重で物々しい雰囲気でした。

式典のポスター

参列者の席。前の方が来賓席になります。赤煙が上がっている部分は慰霊碑になっており、その周辺で軍による実演が行われていました。

赤煙や黄煙は礼砲を空にむかって打ち上げた時に出る煙。

ABCテレビのクルーが取材に来ていました。

交通規制の他、公園周辺では検問も行われていました。

マイクを持ってスタンバイ中のカメラとアナウンサー

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