本質とは何かと言う話し

  

最近essentialismという本を読む機会があった。数ある多くの瑣末な事柄から本質を見つけ出し、あらゆる雑音をシャットアウトして、重要なことだけに焦点を絞り、狭く、深く 徹底的に取り組むことが重要であるということを説いている

この本をきっかけに本質の意味について少し具体的に考えるようになった。本質と言う言葉は実に漠然としている。見る角度や見る立場、見る方向によって本質の意味合いが変わって来るからだ。結果的に問題解決のアプローチが変わり異なる結果が生み出される可能性がある。

社内で遂行しているプロジェクトに何らかの問題が発生した際、その問題の本質を探る時、会社が掲げているミッションや定款というフィルターに通して問題をみるのか、人間的な道徳観というフィルターを通して問題を見るのか、自分の価値基準というフィルターに通して問題を見るのかで解決の糸口が異なり、それぞれ全く違った行動を生み出すのだ。

結果的に問題解決の結果を巡って意識や解釈の違いが生まれ、ある者は問題を解決したと言い張り、ある者は問題が増えたという相容れない結果に終わる。

結局、重要な事は状況や立場による解釈の数だけ生み出され、本来少ないはずの重要な決定事項は問題が発生する度に増え解釈の違いから無秩序な意見のぶつかり合いに発展してしまうケースがあるだろうと思う。

その個々人が考えている問題解決の糸口の本質の中から真に重要だと定義できるものに絞るにはチームで共有するべき共通の方向性を指し示す羅針盤が必要で問題解決の解釈に規律と一貫性を持たせなければならない。

このようにして数ある解決策を篩にかけて、チームとしての方向性や共通認識と合致する解決策を本質として扱うのだ。

ジョンソンアンドジョンソンの社訓である「我が信条」には社が一丸となって問題解決に奔走できるように明確な優先順位が定められている。

顧客が第一で、株主は最後だ。と。

会社の方向性を指し示す社訓とも言うべき信条が、1982年に起こった多数の死者を出したタイレノール事件を解決したのだ。経営陣は速やかにタイレノールを市場から回収すると言う決定下した。

個々人が持っている人生におけるミッションはそれぞれ違うのだ。我々の人生のミッションを達成する為に踏破すべき問題を見いだす羅針盤が指し示す方向は全て違う。そもそも問題が発生したときの本質を見抜く解釈が人それぞれ違うと言うのは当然の話しと言う事だ。

私の考えでは本質とも言うべき重要事項が一つしかないという意見には賛成しかねる。結局会社としての問題解決には意思決定に一定の秩序が必要で、大半の解決策は些末な問題として扱われてしまう。

チームにおける本質とはチームの秩序立った考え方に沿った解決策を見つけるということだ。

しかし個人ではそれが当てはまらない。自分の人生の羅針盤は会社組織の秩序に合わせるものではないからだ。自分のミッションを遂行するか、人の理念に共鳴して人の人生を生きるか、自分の信条に付き従う事を本質とするならば前者が最優先事項だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿